金融2006、新たな世界へ
ここ十数年、日本の金融市場の構造は大きな変化を遂げた。金融はそもそもイノヴァティブ(革新的な)産業だ。今までの負の清算課程を過ぎて、ここで自由な発想と創意工夫が新しい金融ビジネスの扉を開く。金融コングロマリット化ではなく選択と集中がKFSである。ビジネス環境でも日本は米国の短期評価の株主至上主義に極端に走ることなく、中長期経営の視点を維持した新・日本的経営システムの構築が望まれる。
1.金融ビジネス、自由な発想、創意工夫で扉を開くか
バブル崩壊後の日本経済の混乱期を「失われた10年」ということが言われる。しかしこの間に日本経済の構造は大きく変化した。日本の金融市場の構造も大きな変化を遂げた。特にバブル形成と崩壊の中心的存在であった不動産市場が大きく変化したことである。不動産の証券化や流動化が急速に進んだ。株式市場もその性格を大きく変えている。最近のM&Aの件数増加なども株式市場の変化と言う視点で見ると面白い。
金融はそもそもイノヴァティブな産業である。これまでの日本の金融は過去の清算に追われて、前向きの動きはあまり表に出てこなかった。ようやく本格的な景気回復の兆候が現れてきた今日、金融の変化によって産業の成長をリードすることができるか否かが、今後の日本経済の活力を考えるうえで鍵となる。
日本の金融市場の自由化は着実に進んだ。今は金融本来の機能を取り戻すときだ。旧来の枠組みに固執せず、顧客目線で独自のビジネスモデルを構築せよ。顧客と正面から向き合い新しいニーズに目を凝らす。自由な発想と創意工夫が新しい金融領域の扉を開く。
2.「金融コングロマリット化は必然」は錯覚、「選択と集中」こそ主流に。
金融当局や金融界は金融のコングロマリット化を必然の流れのように捉えているが、その見方は正しくない。総合的金融サービスの提供は良いとしても、それをすべて自前で提供することの問題点が世界で浮上してきた。むしろ今後は「選択と集中」の時代である。
1990年代後半から大型金融機関の合併・統合が世界的な規模で活発化した。銀行、証券など業態を超えた合併も多く見られ、米国では銀行による証券会社買収の動きが広がった。そうして米シティグループやオランダのINGなど、各業態にまたがる金融グループが増えた。金融コングロマリット化である。日本においても、業態別子会社を通じた相互参入という形で道が開かれ、実際、大手銀行は新たに設立した子会社を経由して証券業務に参入した後、準大手証券会社の買収などを通じて証券子会社の競争力向上に努めている。
金融コングロマリット化は、利益背反、リスクの集中とその伝播、経営の非効率化など、新たなリスクが顕在化する恐れがある。
実態としては期待通りの成果が得られているとは必ずしも言えない。例えば、個人投資家による株式売買においてインターネット証券会社が存在感を高めるなか、銀行系証券会社の株式販売力は弱く、期待されたシナジー効果は得られていない。債券・株式の引受けにおいても、一部に優れた実績が見られるが、概して大手証券会社、外資系証券会社の後塵を拝しているといっても過言ではない。このように日本の場合、金融コングロマリット化の動きはさほど進展しておらず、イメージだけ先行している嫌いが強い。
米国においては、ここへきてコングロマリット化を見直す動きが始まっている。期待したほどシナジー効果が得られていないほか、資本の効率性が低下するなど、複合企業化した世界がばら色ではないことが明らかになってきたからである。
例えばシティグループの場合、2005年1月、生命保険事業の売却発表に続いて、6月には資産運用業務からの撤退を決めた。銀行と保険の商品セット販売が計画通りに実現できなかったうえ、保険や資産運用業務の収益性が目標水準を大きく下回るなど、マイナス面が目立ってきたからである。ドイツ銀行などではリスク負担の適正化を狙いとして保険部門の一部を売却している。
株式市場においては近年「コングロマリット・ディスカウント」が発生するようになるなど、複合化の動きは必ずしも積極的な評価を得ていない。
このように複合企業体化に潜む問題が顕在化するなか、製・販分離の動きに拍車がかかりつつあるというのが最先端の動きといえる。即ち、コングロマリット化に代えて、経営資源の選択と集中を図りつつ総合金融サービス機関になるというビジネスモデルが選択されたのである。
たとえば、シティグループの場合、メットライフへの保険部門の売却後、保険関連商品については同社のものを販売する提携をしている。
資産運用部門についても同様であり、販売面での付加価値追求が重視された。それはまた、資産の証券化をキーワードとして80年代後半から90年代初めにかけて進んだ金融商品の機能の分化と束ね直しの動きが、金融サービス提供に関わる組織形態の機能分化という形で再び顕在化したことを示している。
以上のような内外金融機関の動きを踏まえると、どのような方向が望ましいのだろうか。21世紀における金融モデルの核心は、業務提携を軸とした良質な総合金融サービスの提供にあり、コングロマリット化は経営形態面での選択肢のひとつに過ぎない。不良債権処理の目処がついたいま、日本の大手金融機関は新たな活力源を模索しつつある。その際のキーワードは経営資源の選択と集中である。
そうした動きをバックアップするためには、銀行業への参入規制の緩和による競争の促進、異業種との提携が重要であり、そういった観点に立った規制緩和の徹底的な実施が求められる。その結果、顧客の目線に立った金融機関の業務運営、金融商品の提供がなされるよう、この点の創意工夫が金融機関同士の競争を促進させて、新たな金融世界をもたらすことになるだろう。
3.株主至上主義の限界
米国では短期的な株価押し上げを最重要視する株主至上主義の問題点が近年表面化し、企業の統治構造が見直しを迫られている。この面で長期の利益に向けて後半に利害関係を重視する日本型経営は評価できる。問題は企業買収関連の法整備などが不十分な点で、当局の対応は急務だ。
ライブドア事件は、大きな教育効果をもたらした。企業のM&Aとは何か。敵対的M&Aとは?
この事件はある意味で現在の株主資本主義と呼ばれる米国型資本主義の強みと問題点を象徴的に示した。ライブドアは、自社の株価を違法な粉飾決算やM&Aなどを繰り返しながら上げ続け株式市場の虚をつくような形で伸びてきた実業のにおいがあまりしないインターネットのベンチャー企業。株主資本主義・米国型資本主義の典型ともいえる企業である。株価とM&Aの好循環が逆転すれば、たちまち苦境に入りかねない弱さを持った会社でもある。(今回の意図したシナリオは、違法粉飾決算でもろくも瓦解したが)
日本型規制産業と米国型マネーゲーマー。今後日本で起こるであろうM&Aの大きな流れの予告編をみせたくれた。ゴールドマン・サックス、カーライルなどの米国系投資銀行や投資会社が続々と巨額ファンドを組み、本格的なM&A時代に備えている。日本銀行の超金融緩和政策で極端なカネ余り状況にある日本でファンドを組成するのは簡単だ。外国系ファンドが日本の資金で日本企業を買収するのは、皮肉な現象である。
問題なのは、株式市場の機関化、M&Aの流行などで短期的に株価を上げることが至上命題になり、経営者が将来の利益を犠牲にしてでも現在の利益を増やそうと言う姿勢になってしまう点である。株価至上主義のもとで、四半期ごとの時価会計を求められると、企業は製品やサービスを提供するための生産活動よりも、資産や負債の管理に重点を置くようになる。特に、株式を保有する側の年金基金、保険会社、ファンドなどではそれが主要業務なので、市場を見ながら短期的に株式を含む金融資産を売買せざるをえない。四半期ごとの決算が彼らの株価を左右するからである。
メーカー側でも、短期的な株価が重要となれば、なかなか長期的に資金を眠らせる研究開発などに力を入れにくくなる。短期的な越す津削減のためには、解雇が有効である。また長期間かけて企業内でプロを育てるよりも、外から専門家を雇ったりアウトソーシングをしたほうが安上がりだ。企業内で人材育成が常にベターと言うわけではないが、あまり外部に頼ってしまうと企業の人事が空洞化しかねない。こうなってくると様々な経理上の操作で当面の利益をかさ上げしようとするインセンティブが働く。法律すれすれ、あるいは法律に違反してでも利益を増やそうと考えることも出てくる。それはエンロンでありワールドコムだった。
株主資本主義の問題点は、近年米国で表面化し、監査法人も金融機関も一般企業もそのガバナンスのあり方を再検討し始めている。株主も大切だが、従業員、取引企業、そして顧客などステークホルダーもまた、重要だと再認識せざるを得なくなっている。
ステークホルダーを大切にしてきた従来の日本型経営を全面的に放棄する必要はない。株主資本主義の問題点が噴出してきた米国も振り子はまた、逆に振れ始めている。ただ、グローバル競争が激化するなかで、企業はそれなりの防衛体制を固めなくてはならないし、当局も法整備を急がなくてはならない。
日本型経営システムは企業の中長期利益を増やすにはかなり有効な面を持つ。だからあまりにも短期的利益を追う米国型資本主義を無批判に日本に導入することは決して望ましいことではない。