リーマン・ショック1年
1.ウォール街 薄れる教訓 危機再発の芽消えず

世界経済を震え上がらせた米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻から1年がたつ。「100年に1度」の経済危機を経て、世界はどこに向かうのか。
世界最大の資本市場を担うウォール街・だが、金もうけ優先の風潮は暴走した。自己資本の30倍もの負債を負って住宅投資に走ったリーマンの末路は、資本主義経済の心臓部に潜む暗部を浮かび上がらせた。リーマン破綻が「ショック」と言われるのは、瞬く間に地球規模で広がった危機の起点だからだ。長年膨らみ続けた信用バブルは、ついにはじけた。米国の負債総額は、1980年のGDP比1.6倍から、昨年は3.7倍まで拡大した。リーマン破綻が招いた貸し渋りは、安易に借金をして消費してきた人たちに行動規範の是正を迫った。世界のGDPの2割近くを担う米個人消費が落ち込み、日本など対米輸出に頼る国々が危機のドミノに陥った。
1年後の今も、危機の芽は消えていない。
まず、金融システム。「来年までに500以上の米地銀が破たんする」。破綻企業の買収と再生で「倒産王」の異名を持つ米投資家、ウィルパー・ロス氏は断言する。
2.新たな「爆弾」
読みの背景には、バーナンキFRB議長が「新たな爆弾」と警戒する1兆ドルを超す商業用不動産向け融資の不良化がある。地銀最大の収益源だった地元ショッピングセンターへの融資は年初から100近い地銀が行き詰まる爆弾に転じた。
そして、米国の個人消費の低迷でけん引役を欠く世界経済。自動車販売世界一が視野に入ってきた中国の内需への期待もあるが、中国経済は資産バブル懸念など危うさもはらむ。
再びウォール街。ダウ工業株30種平均は今年3月につけたリーマン破綻後の安値から5割上げ、危機感も薄れてきた。GSは4〜6月期に過去最高益を出し、今年前半の1人当たりの報酬が2年前の水準を回復した。
政府傘下の金融機関の巨大報酬まで表面化、危機の元凶とされる複雑な金融商品の販売も再開した。「報酬ほしさに昔の経営に戻りたい人々が頭をもたげてきた」との声もある。
ハイリスク・ハイリターンを好むウォール街の文化は良くも悪くも「アニマル・スピリット」と呼ばれてきた。
将来の成長を見越して金融機関がリスクを承知で投融資をてがけるのは、資本主義経済にとって欠かせないことでもある。
前向きな姿勢は凍りついた経済が動き出すエンジンなのか、どん底の恐怖を忘れて動き始めた暴走の一歩なのか――。2つの顔をちらつかせながら再生に向けて歩着だしたウォール街。その動向は世界経済の行方も左右する。
3.失業の増大
ショックから1年。世界経済は最悪期を脱したようだが、危機は過ぎ去ったわけでない。「金融と実体経済に続く危機の第3波は失業の増大だ」とストロスカーンIMF専務理事は警告する。
世界経済は各国の景気対策で支えられているが、雇用が回復し、家計の所得が増えなければ、再び失速する恐れもある。先進各国で財政赤字が膨らむ中で、財政刺激策にも限界がある。量的緩和など異例の領域にある金融政策も同じだ。
リーマン破綻で大きな金融機関をつぶす恐怖を味わった欧米当局は巨額の公的資金を金融機関に投じて金融システムを支えている。だがこうした政府介入の負の側面も目立ってきた。
9月4日、ロンドン。BIS主催の当局と金融機関幹部の非公式会合で「公的資金注入と国際資金フロー」が議題に上った。政府は税金を投じた銀行に国内融資を優先するように求めるので、マネーが国内回帰し、国際的な資金の流れが細る恐れがある。関係者が危惧したのは金融保護主義の弊害だ。
証券化商品などに潜むリスクを当局が監視できず市場の暴走を許してしまったのが今回の危機の教訓。バブル多発による経済の大きな振幅を避ける適切な監督・規制を避ける再構築が必要だが、規制を強めすぎれば成長や技術革新の芽を摘みかねない。そのバランスをどうとろうとするかが難しい。
ーマン・ショックは、G20による新たな協調の枠組みを生み出すと同時に、世界同時の政府介入という異常事態をもたらした。そこから出口を探る政策協調はまだ道半ばである。
4.中央銀行資産が膨張 市場混乱の火種にも
リーマン・ショックから1年。大激震が走った国内外の金融・資本市場は落ち着きを取り戻しつつある。主要国によるなりふり構わぬ財政・金融政策が功を奏し、金融機関同士の「相互不信」が解消されつつあるためだ。しかし、危機対応の影響で主要中央銀行の資産・負債は膨れ上がり、これが新たな市場混乱の火種になる恐れも出てきた。危機克服の本当の正念場はこれからだ。
昨年9月リーマン破綻。国内外の金融市場は機能マヒに陥った。金融機関はお互いの経営状態が信じられなくなり、多くの市場で取引が極端に細った。銀行間金利(LIBOR3か月物)はリーマン破たん直前の2.8%程度から一気に4.8%へ上昇。
経済の血液であるお金の流れが滞れば、実体経済にも悪影響が及ぶ。国内でも企業の信用リスクをやり取りするCDS市場で信用リスクを映す指数が上昇の一途をたどった。
異常事態を踏まえ、日米欧の主要中銀は協調して各国市場でドル資金を供給を開始。機能不全が著しい市場では、リスク資産を買い込むなど異例の策にも打って出た。危機の鎮火へ、各国政府も財政出動に動いた。
今年3月に入ってから事態は好転する。米金融機関の不良債権問題が峠を越え、景気の悪化ペースにはブレーキがかかった。市場の不安心理は後退し、ドルの銀行間金利は過去最低の水準に低下。国内企業も優良企業を中心に信用力の回復が鮮明になった。
だが有事対応には副作用もある。米港を中心に中銀の資産は急膨張したままだと大量の資金が市場に滞留し続ける。資金の回収に時間がかかれば利上げも遅れやすい。特にFRBの資産規模は1年で2.3倍に拡大。「ドル余り」と「低金利の長期化」を合言葉に投機資金が商品市場に流入するなど、過剰流動性が新たなバブルを生む可能性も指摘され始めた。損失リスクを伴う資産を抱えることで「ドルの信認」への不安もくすぶる。
先行きの世界景気や金融問題は予断を許さず、すぐには「非常時モード」を解除できない。だが市場の混乱を招かないように、詳細な出口戦略も同時に必要となる。各国中銀と市場との対話は、一段と難しくなっている。
5.金融規制の見直し必要
コロンビア大教授 ジョセフ・スティグリッツ氏
米証券大手リーマン・ブラザーズが2008年9月に破綻し、各国政府や金融機関は金融行政や経営モデルの大幅な見直しを迫られた。世界経済の行方を識者に聞いた。
Q:リーマン破綻から1年がたった。
:米景気は2007年8月に下降局面に入っていた。破綻はその結果であって、リーマン破綻が引き起こしたわけではない。それがなくても規制緩和の時代は終わっていた。
Q:米政府の対応は評価できるか。
A:恐慌へ真っ逆さまという状況を脱したのは喜ばしい。ただ、どんな金融制度が望ましいか事前に検討すべきだったのに、機能しない金融システムに公的資金を入れてしまった。
金融機関の再編は法的枠組みに沿ってやるべきだった。
Q:金融規制の強化が持論ですね。
A:市場の問題は金融機関の大きさになるのではない。金融機関同士の過剰な相互依存にある。金融機関は責任を負える範囲で投資すべきだ。
Q:多くの米国民にとって景気回復とは仕事があることだ。失業率は10年末まで上昇が続くだろう。雇用情勢が改善しないと、賃金低下につながる。消費が回復しなければ経済は弱いままだ。
Q:ドル基軸体制がゆらいでいます。
A:ブレトンウッズ体制の発足時、ケインズは世界通貨バンコールの創設を訴えたが、米国がこれを拒んだ。今こそ世界がグローバルな準備通貨制度作りに向けて協調すべきだ。中国はドル体制への不安をあらわにしており、大きな役割を果たすだろう。
Q:鳩山首相はアジア共通通貨創設を提唱しています。
A:97年のアジア通貨危機の際、アジア通貨基金構想をつぶしたのは失敗だった。地域の相互援助は重要だ。ただ、世界全体としては強力な多国間システムの構築に注力すべきだ。地域主義は経済のブロック化につながりかねない。
6.海外事業は現地法人で
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授 チャールズ・グッドハート氏
Q:金融危機を経て、世界の金融システムはどう変わりましたか。
A:いくつかの金融大手が消滅した結果、残った金融機関の競争が減るという問題がいろいろな国で起きる。銀行の信用仲介機能が低下し、企業の借り入れコストは高止まりする。
公的資金による銀行救済が相次ぎ、一部の銀行は大きすぎてつぶせなかった。大銀行は高リスク経営に傾斜し、そのリスクを少しでも減らそうと政府は規制を強化する。信用仲介で銀行が果たす役割は5〜10年で徐々に縮小し、資本市場や銀行以外の金融会社がより大きな役割を果たすようになる。
Q:金融規制はどう見直すべきですか。
A:自己資本規制は見直しが必要だ。ここの与信先の格付けに連動して必要資本額を決める今の枠組みでは危機に対応できない。市場全体に目配りした新たな枠組みが必要だ。市場からの借り入れが金融機関の身の丈に合った水準を超えないように抑える借入比率(レバレッジ・レシオ)の導入は有益だろう。
Q:グローバルに展開する銀行への規制強化論が目立ちます。
A:国境を越えて事業を手掛ける金融機関は金融規制や税制上、最も有利になるように子会社や支店を配置する。このため組織が膨大になり、契約関係も複雑になる。これがリーマン・ブラザーズ破綻が欧州市場で大混乱をもたらした主因だ。海外組織を簡素化すればリスクは減る。
海外事業は支店ではなく、各国当局が直接監督できる現地法人で展開すべきだ。アイスランドの銀行危機では欧州の他の国が公的資金投入を迫られただけに、各国は外国金融機関への規制強化を検討するだろう。ただ規制強化は金融機関のコスト増につながる。大幅見直しで各コクが足並みをそろえられるのかは疑問だ。
Q:危機対応の政策が平時に戻るのはいつごろですか。
A:これほどの危機は1930年代以来なので、当局も展開を予測するのは難しい。中央銀行はデフレ圧力と超緩和政策によるインフレ懸念の両方に目配りしなければならない。当面は失業率が高止まりし、設備稼働率も低迷するため、デフレ懸念の方が大きい。金融緩和姿勢は2010年前半まで続くだろう。